沖縄への旅の回数はすでに10数回のお遍路ハウス33コンシェルジュさくらです。
2018年10月、沖縄で訪ねた”ション万次郎”上陸ビーチとと沖縄についての旅の思い出を綴ってみます。
朝日&高知新聞愛読者である私は、わが郷土の偉人ジョン万次郎の帰国上陸は沖縄の地であったということを近年知り、またその地が上陸地として整備されているとの記事が記憶にありましたので訪ねてみたいと思っていました。場所は沖縄本島南部の糸満市です。
ウミガメ産卵ビーチでもあるようでした。
海にお尻を向けて指差す方向は故郷土佐清水なのだとか。台座に描かれた上陸ストーリーも読みやすく綺麗。それもそのはず建立は平成30年2月、ピカピカ。
万次郎が購入した捕鯨ボート”アドベンチャラー号”で琉球:小度浜に上陸
story① 万次郎、足摺岬沖で嵐に遭い漂流。太平洋の孤島で捕鯨船に救助される。
story② 万次郎、アメリカ本土に上陸。日本人留学生1号の誕生。
story ③ 日本帰国への第一歩。 万次郎、いざ琉球:小度浜に上陸
story ④ 万次郎、摩文仁間切番所で取り調べを受ける。荷物には本や地図、ピストルも
story⑤ 万次郎、宿道を歩き翁長村の高安家へ『イチャリバチョーデー』精神に触れる
story⑥ 万次郎、封建時代の日本に民主主義を伝える。国際人として活躍、そして開国へ
万次郎は琉球の<イチャリバチョーデー精神=一度会ったら皆兄弟>のもてなしに身も心も癒されたようです。
滞在中何気に初めて訪ねた沖縄県立博物館・美術館で儀間比呂志の世界展というコレクション展を見ることになりました。
那覇生まれの版画家で絵本作家の儀間比呂志さんの戦争版画の迫力には圧倒されましたが、見ていくうちに
『子供時代の絵本でこの人の絵を見たことがあるかも?』
と気づきました。
そうです、私や弟が読んでいた絵本版画は儀間さんの作品でした!そして、
絵物語 琉球に上陸したジョン万次郎
というという全文英訳付き絵本の挿絵を儀間さんが描いていることに気づきました。
発行元は沖縄タイムス社です。
大河ドラマでは<西郷どん>が話題となり、明治維新より150年を経た2018年、ジョン万次郎は米国と日本の架け橋になった明治維新の立役者の一人として改めてその功績が広く知られる時が来ているのではないかと絵本を読んでみて感じました。(お遍路ハウス33に置いてます)
上陸の碑で彼が左手に持っているのは<ジョージワシントン伝記>だそうです。
鎖国時の日本に彼は民主主義(アメリカ・デモクラシー)を伝えたいとの意思を持って帰国したのですね。
儀間さんと同じく昨年2017年に105歳で亡くなられた”高齢社会の星”聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生もジョン万次郎を助け育てたホイットフィールド船長のフェアヘブンの旧宅保存活動をされていましたが、ジョン万次郎とホイットフィールド船長の国を超えた交流の歴史とジョン万次郎の向学心や冒険心溢れる人生を愛し、後世に伝えたいと願ったのでしょう。
今年の春訪ねた土佐清水市のジョン万次郎生家です。本当に小さな漁村ですが海を越えて今もマサチューセッツ州フェアヘブンと土佐清水市は友好関係が続いているようです。
上陸の碑の建つ大度海岸を訪ねた折、ふと横を見ると何やら海にまっすぐ伸びる道のようなものが見えました。
近づいてみると、
左手には祠のようなお祀りの場のような‥
どうやら真水の湧き出る聖地(御嶽)のようでした。
たまたま干潮のタイミングで訪ねたので気づいたのでしょうか?けれどもやはりジョン万次郎上陸地は偶然のようで必然の神様に導かれた場所なのだなあと感じます。
儀間さんの作品で好きなのは女性を描いた作品でした。絵葉書でもあれば買いたい可愛さです♡。
沖縄を訪ねると、やはり戦争と平和について考えさせられます。亡くなられた翁長雄志知事の遺志を継いだ玉城デニー氏が当選されたタイミングでこの地を訪ねることができたことにもご縁を感じます。
上陸のとき、ジョン万次郎たちは村人たちにふかし芋などごちそうされ安堵した様子が記録として残されているそうです。当時琉球も宮古島では3000人も餓死した記録があるそうですが、<チムグクル>という思いやりやおもてなしの心で迎えられて万次郎たちにとって琉球は忘れがたい地になったことだろうと思いました。
太平洋を超えて数奇な人生を前向きに誠実に勇気を持って生き抜いたジョン万スピリッツが日本の子供達にもっと広く知られることを願ってやみません。
海を越えて渡りをする蝶アサギマダラが今年も高知の我が家の庭にやってきました。これから沖縄に向かうのですね。高知〜沖縄は1080キロの旅です(OvO)いってらっしゃい!