ゴミ屋敷〜ビフォーお遍路ハウス33(その1)

先日朝の情報番組<とくダネ!>で既視感のある場面に遭遇しました。まさにこの写真の台所と同じ。他の部屋の状態もほぼ同じ。

『あ、ゴミ屋敷!。いやいや違う、なになに<福祉住環境整備>?』

そう、今や”親の家の片付け”は<福祉住環境整備>なる言葉で表現されるのだ!と新しい言葉をインプットしました。現在80 歳前後の高齢の親の家の片付けに悩む子世代(50 代くらい)の負担は<親家片(おやかた)>なる新語まで生み出しているようで笑えない現実です。

そう、このお遍路ハウス33はまさに現在79歳の夫の母のゴミ屋敷問題からミラクルな展開で創造された女性専用ゲストハウスなのです。

私(53歳長男の嫁)に起こった出来事のキーワードを並べてみれば、

ゴミ屋敷、親の家の片付け(親家片)、生前整理、アルツハイマー、空き家対策リフォーム、認知症カフェ、女性専用ゲストハウス、お遍路、

とまあこんな感じです。近頃新聞の見出しで目に付くタイムリーな用語ばかりですよね。私の体験が誰かの参考になれば無駄ではないなこの経験も、との思いで、いつかこの経緯をブログに載せたいと思っていました。長いストーリーになりますがお読みくだされば幸いです。

鶏が先か、卵が先か?認知症が先か、片付けられない性格が先か?

これについては、明らかに性格、性癖、習慣?が先でした。2001年に夫の父が亡くなる前の年には一度『この部屋の状態ではお通夜もできない💦』と思い、当時住んでいた宿毛から毎週通い、長男の嫁として、床を這い蹲り、不燃物引き取りをベンリーに頼み何とか退院してきた義父の居場所を確保しました。あれから15年‥‥元の木阿弥状態についてはもはや、『どうぞご自由に』でした。

が、一昨年あたりから頻繁に義母から『胸がフタフタする』との体調不安の電話が増えてきて、しまいに『ドロボー(中学生くらい)が来てねえ』の話も出て、ドロボーさんへのお手紙も多数発見「けいさつにきてもらいます」「おかねはありません」等。『なんか食べるもんないかね』との依頼も増えてきて、とうとう電気ストーブで畳を焦がす事件が発生。『これはもう認知症よね?』『介護保険のお世話になる必要?』『どうやって支援してもらう?』『この部屋に誰が支援に入れる?』『絶対誰も入れない!』😵😵😵との私の結論からお義母さんへの本格的な対応が始まりました。

まずは介護保険なるものを申請するにあたり診断も必要とのこと。数年前に黄斑変性の手術をした義母の眼科の付き添いは定期的にしていましたが、その他の近所の病院へも頻繁に受診していたことが大量の領収書から判明。多分『胸がフタフタする』受診で安定剤処方の繰り返し。診断はアルツハイマー型認知症。要介護認定を受けることができました。これが昨年1月頃、丁度1年前のことでした。

その頃の私は診断いかんに関わらず、『家を片付けないことにはどもならん(支援も介護も無理無理無理)』『まずは入れる施設、施設を探さないと!』の一念でしたが義母はもちろん施設入居など前向き感ゼロ、夫も『片付けて畳を変えたら介護支援可能では』程度な認識。私一人が施設を探す方向でした。高知市高齢者支援課からの情報やネット検索で近辺の施設にあたり見学に行きましたがどこも空きなし( ̄O ̄;)。ショックでした。丁度その頃2016年2月2日の高知新聞朝刊に<空き家 遍路宿に活用を>との記事を見つけました。

それは、千葉のニートや引きこもりの若者支援をしているNPOが若者をお遍路体験させたところ、とても効果的だったので遍路道近くに提供してくれる空き家を探している、改修費用負担もありとの内容でした。

閃きました。『長浜のあの家は、33番札所雪蹊寺すぐ近く』『新しいグローバル時代のお接待システムお遍路ハウスってなんか素敵』『改修費用も出るのかも』『お遍路さんのお接待ってご奉仕よね?やる気出るかも』等々

それからというもの私の頭は『お遍路ハウスにするなら頑張って片付けられるかも!』の思いがどんどん膨らんでゆきました。もちろん夫に話すことなく月末のカルポートでの説明会に参加しました。

説明会は案外沢山4〜50人は参加していました。皆さん説明に聞き入り質問も飛び交っていました。これでは個別の話にはなりそうにもないと思いアンケートに答えて帰宅しました。3月は入所施設も決まらず実父の死や息子の大学卒業など忙しさに翻弄されましたが、4月になり突然NPOから家を見たいとの電話が入りました。『候補なんだ』との嬉しさが湧き上がり、雪蹊寺で待ち合わせて義母の家に案内しました。未だ片付けには取りかかってない状態だったので内部は見せられず(義母の抵抗)でしたが『見たところしっかりした作りだから、ぜひお遍路ハウスにしてください』との言葉をいただきました。

さあそれからは私のスイッチが入ったというのか、頭の中は前以上に真剣に入所施設探しモードになりました。もちろんその時点で夫にお遍路ハウス計画を伝えました。もはやお義母さんのドロボーの訴えは、あなたの言うお弁当配達や、畳替えでどうにかなる状態ではない、一人暮らしは危険、既に炎上している!との私の勢いに気圧されたのか、お遍路ハウス計画に反対することはありませんでした。

そんなやり取りのあった4月のある日、この近辺での施設は〜と思いつくままいつも看板を目にしていた<ヘリオス>を訪ねました。盛大な花火大会を催してくれるヘリオスは私の中ではとても印象が良い施設なのです。高知市桟橋方面から桂浜方向へトンネルを抜けた海沿いにある高級イメージの福祉施設です。飛び込みにも関わらず親切に館内を案内してくださったものの現在空きはナシとのことに落胆。海の見える高級リゾートホテルのような施設は素晴らしく(展望浴場、展望ビュッフェレストラン!)まさに理想の老後環境。金額も高級ですが(笑) 落胆している場合ではなく『どうしたら入れる施設を見つけられるのか?』と相談すると、『まずケアマネージャーを見つけないかん』とのお返事。『どうすれば探せるのか?』との私の問いに、『僕もケアマネです』『ではあなたにお願いします』でケアマネ決定。それから近辺の入居先を探してもらうことになりました。

ケアマネケアマネケアマネ、、、言葉は知っていても内容は知らない。人間自分に降りかからないと言葉が通り過ぎるだけなのですね。プロに現状と要望を伝えたことによって早速入居施設が見つかりました。認知が進んで共同生活に支障が出たら転居しないといけない経費老人ホームですが私達の自宅のすぐ近所のケアハウスでした。即決定。5月末にはお義母さんはケアハウスに入所となりました。

次なる行動はゴミの撤去。

映画<アントキノイノチ>は私のお気に入り岡田将生くんが主演していた遺品整理の仕事を通じて若者が成長してゆく作品でしたが、それを参考に『遺品整理で検索してみよう!』と検索。ありました!それもすぐ近所春野に。すぐに見積もりに来てくださり契約。たとえうん十万と言われても、もはや自分で撤去できるわけもないので悩むこともありませんでした。見積もりによれば

<男性4人がかりで2日、2トントラック3台分のゴミ( ̄O ̄;)>

当日は私も参加して高知市のゴミ処理場までトラックに乗ってついて行きました。(高知市民であることが金額的に優遇されるとのこと)。3往復。2日がかりというのは後で思えばありがたいものでした。1日目は『まだ使える気がする』思いでつい残しておこうとしたものも、一晩考えて『やはり引き取ってもらおう』と決意できました。リサイクル品としての引き取りもあるのです。お世話になった<くるめ屋>さんは皆親切で、丁寧に男性たちがお掃除してくださいました。私が恐ろしくて見ることも触ることもできないような汚いところも磨いてくださいました。仕事の合間に関わったゴミ屋敷話を伺うのも大変興味深いもので、義母の家くらいはまだまだオッケーなレベルだとか(⌒-⌒; )。今の世の中で必要とされるありがたいお仕事だと感謝の気持ちで一杯になりました。

さて、お義母さんはとりあえず安全な環境に、家は空っぽになりましたが、このままの築32年一度もお手入れしたことのない家の状態では(野宿できる)お遍路さんでも泊まれない。畳も床も壁もボロボロ‥お義母さんは住んでましたが(笑)。

いよいよお遍路ハウス33へと可愛くリフォームしてくださった建築士さんとの出会いです(続く)。