2024夏 熊野古道と33番雪蹊寺〜山本玄峰老師

お遍路ハウス33に泊まる歩き遍路の外国人ゲストたちはヨーロピアンが多く、話してみると世界遺産のカミーノ(サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路)を歩く中で四国遍路を知ったと聞くことがよくありました。

よーく聞いてみると、いきなり四国遍路というよりも、まず世界遺産に登録されている熊野古道を歩きに来たとの流れにも気がつきました。

2004年7月に紀伊山地の霊場と参詣道としてユネスコの世界遺産に登録されて今年で20年!

調べてみると歩き方も道も色々‥この夏訪ねてみました。

まずは初心者向けの大門坂を上ると💦

熊野那智大社⛩️

那智の滝がご本尊の飛瀧神社⛩️にもそのまま歩けます。

1000年前の熊野詣スタイル(レンタル衣装)での参詣に遭遇、風情がありました💕

熊野三山の熊野速玉大社の神降臨地神倉神社⛩️

ものすごい角度の📐石段を恐る恐る上り下り😣

火祭りではここを駆け降りるとは信じ難い‥

熊野本宮大社⛩️と八咫烏について

明治の大水害以前に熊野本宮大社があった場所大斎原(おおゆのはら)の大鳥居⛩️圧巻でした!

熊野本宮大社前の世界遺産熊野本宮舘を見学していると、

あら⁉️

山本玄峰老師にここでお会いするとは😳

こちらは四国88ヶ所第33番札所雪蹊寺⤴︎

お遍路ハウス33より徒歩4分

入り口左のニット帽老師

山本玄峰老師の出身地は熊野本宮大社近くの湯ノ峰温泉♨️

和歌山地元の偉人老師⤴︎

目を患い故郷を捨てて7周、8周目の四国遍路で行倒れになり助けられた雪蹊寺で得度され、終戦時に有名な”耐え難きを耐え、忍び難きを忍び〜”の言葉を時の政治家に伝えた老師

の故郷が熊野本宮大社近くでした❣️

何気に宿をとったのも湯ノ峰温泉♨️

ひっきりなしに外国人観光客(熊野古道ウォーカー)がつぼ湯♨️に入ってました。

風情ある♨️

温泉街真ん中に、玄峰老師96歳の揮毫の石碑があると宿の方が教えてくれました。

わがお遍路ハウス33を始めるきっかけとなった33番雪蹊寺との繋がりを感じる出来事でした💕

高知から車で7時間余り、熊野三山まで遠すぎるので、まずはたどり着いた串本のホテルから見た奇岩😳橋杭岩

橋杭岩にはお大師様伝説もありました!

又串本は1890年にトルコのエルトゥールル号の遭難者を助けた町でした❣️

100年経ってもトルコ🇹🇷が親日国である理由のストーリーは素晴らしいなと以前から心に残っていましたが串本だったとは知らずのステイでした。

愛のある行いは100年経っても感動が残ります❤️

熊野詣がブームだった千年前の平安時代

タイムリーな2024大河ドラマ📺光る君での花山天皇のイメージは(-.-;)⤵︎でしたが、

今回の旅で熊野詣に安倍晴明を呼びつけて千日修行を行ったと知り、信仰心熱い法王さまだったのねとイメージUP⤴︎

御瀧行者名の筆頭⬇︎

ご白河法皇は熊野詣33回最多とのこと、

1000年前に歩いて熊野⛰️まで💦

さわり、熊野古道歩いてみましたが結構な傾斜の山道をどうやってあの平安装束で⁉️と謎は深まりました。

小辺路の果無峠(はてなし)までの坂道は怖かった😨

スリル満点柳本橋⬆︎

鹿にも🦌、猿にも🐒、烏🐦‍⬛にも出会った熊野旅

アスファルト道を歩かなければならない四国遍路路はまだまだ世界遺産化には遠いのかもしれないなぁと世界遺産クオリティに触れてみて感じたことでした。

四国遍路路も世界遺産化されるくらいの古道整備が叶いますように❣️